朝ドラ1961〜1967:パターンを模索した白黒時代
朝ドラの源流といわれているのは三つあります。
- 『バス通り裏』(1958〜1963)。『7時のニュース』の後の平日19:15から15分の帯ドラマで高校教師の家と隣の美容室を主な舞台にしたホームドラマです。
- テレビ時代より前には主流だったラジオで放送されていた連続ラジオ小説。銭湯の女風呂を空にしたといわれるすれ違いメロドラマ『君の名は』(1952〜1954)が有名。初期は朗読だったのがラジオドラマになったためナレーションが多く、それが連続テレビ小説にも引き継がれています。
- 直接には新聞小説。当時の長沢泰治芸能局長が「新聞に朝刊小説があるならば、テレビに朝刊ドラマがあっていい」といって企画。(長沢局長は「映画もびっくりするような大型のドラマをつくれ」といって大河ドラマもはじめている)
3つの要素を受け継いだ朝ドラの初期は家族が中心テーマの小説原作が中心、主役も佐分利信、笠智衆といったベテラン俳優もいて現在のイメージとは異なります。
新人女優が主役の一代記という朝ドラ定番パターンが初めて登場したのは『うず潮』。林芙美子の諸作品が原作で森光子の舞台が有名な『放浪記』要素もあります。
主演は大阪の劇団で新人だった林美智子。朝ドラ終了後、『紅白歌合戦』紅組司会を担当するパターン(『ひらり』石田ひかり、『ゲゲゲの女房』松下奈緒、『おひさま』井上真央、『梅ちゃん先生』堀北真希、『花子とアン』吉高由里子と近年多い)の元祖でもあります。
そして同じく新人女優主役の一代記『おはなはん』が大人気に。明るく前向きに生きるヒロインを新人(または若手)女優が演じるというパターンの原型となります。また戦前メインの一代記パターンの場合の三大苦難は、日露戦争・関東大震災・太平洋戦争ですが3つとも経験しているのは『おはなはん』と『おしん』。
ただ一代記パターンはまだ定着したわけではなく、翌年は国鉄職員夫婦が主人公の『旅路』。人気をキープし、朝ドラ人気を確かなものとします。
(ビデオリサーチ社の視聴率測定は1964年から)