ドラマ・クロカイブ

AllAboutドラマガイドが書ききれなかったことをつづります。

『半分、青い。』と向田邦子コンプレックス

半分、青い。』見終わってしみじみ「やはり女性脚本家が自分をモデルにしないほうがいい」というのを再確認しました。

このことは

news.livedoor.com

で放送中早い段階で話題になっていましたが、たぶん大元の発信源はオレだ。2000年の『オードリー』の頃にすでに書いています。

allabout.co.jp

考えたのは『春よ、来い』の問題点を分析していたときだから1995年ごろ。原因としては

  • 自分がモデルの主人公を美化して書きたくなる。
  • 無茶なエピソードも「実際おきたことだから」で押し通し説得力に欠ける。

一点目については「向田邦子コンプレックス」と名付けてます。向田邦子をモデルにした作品のヒロインがカッコいいので、つい同じことをやってしまい自分を見失ってしまう。
ただ向田邦子本人はもちろんカッコいいんだけど、自分でそう描いたわけじゃない。没後のたくさんつくられた「向田邦子スペシャル」で、田中裕子などが演じたヒロインがよかったんです。

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これは女性脚本家特有のことなのか、男性脚本家は自分をモデルにしてもそうでもない。たとえば『やすらぎの郷』の脚本家・菊村(石坂浩二)は紫綬褒章を受賞しているなど倉本聰本人がモデルでしょうが、周囲に振り回されてカッコよくはない。NHK1999年の『玩具の神様』は倉本聰の名を騙り旅館を無銭宿泊していた実際の事件をネタにしていて、これも舘ひろし演じる脚本家は菊村と同じような二枚目半でした。

 

『オードリー』は公式にはモデルなしですけど明らかに脚本の大石静がモデル。ヒロインは産みの母と育ての母と二人の母がいて、映画女優を挫折して監督として成功する。大石静は二人の母は同じで、永井愛と二兎社を結成するが舞台女優としてはうまくいかず、脚本家として成功する。

これはNHK側からのオファー。『ふたりっ子』『オードリー』の演出をしていた長沖渉によると、朝ドラ二作目を断っていた大石静を引っ張り出すために二人の母設定をぶつけてOKさせたんだと。
『オードリー』は二人の母設定などはやや無理やりだけど、ヒロインはそこまで美化して書いてません。それでも元恋人の俳優(長嶋一茂)、助監督(堺雅人)、幼なじみ(仁科貴)と三人に思われてモテモテでした。

 

半分、青い。』の自分がモデル具合については

 

🔪🔪🔪鬼頭†オパ-リン🔪🔪🔪 on Twitter: "秋風もそうらしいですねー、しっかしすんごい…… "

 

が詳しい。こうなったのは本人の性格以外に、大石静とはライバル(少なくとも90年代では)だから、それも意識があったのかもしれません。

ちなみに大石静に二人の母設定をぶつけた長沖渉、他にも『都の風』『君の名は』『ぴあの』『走らんか!』『天花』『だんだん』と多数の朝ドラの演出を担当、さらに父の長沖一吉本興業の文芸部長出身、秋田實がモデルの『心はいつもラムネ色』で美木良介が演じた主人公の親友のモデルだから、ある意味、朝ドラレジェンドの一人。
昔の演芸方面に明るいのか、NHKを退職してフリーになった後、ミヤコ蝶々の生涯を描いた東海テレビ昼ドラ『鈴子の恋』では大石静と共同で脚本を書いています。