なぜ放送期間が一年から半年になったのか?
なぜ放送期間が一年から半年になったのか?
これについては当時のドラマ部長・川口幹夫(プロデューサとして紅白歌合戦の育ての親といわれ、1991〜1997年NHK会長)が著書「主役・脇役・湧かせ役」で触れています。
要約すると、1日15分週6回を一年だと分量だけでたいへん、さらに一年持たせるためには大きなストーリーを展開しつつ人物ごとのサイドストーリーもからめるため複雑にしなくてはいけない。それでも予算やスケジュール上、それほど凝ったこともできない。それを和らげるための半年化だと。
予算面では第一次オイルショックの影響も考えられます。
1973年10月に勃発した第四次中東戦争の影響で原油輸入が不足した第一次オイルショック。このため強いインフレ状態になり、当時「狂乱物価」と呼ばれる物価の上昇がありました。
ものの値段が急速にあがると長丁場のドラマ制作では当初の予算では対応できなくなります。放送期間を短くする方が見直しやすいメリットがあります。
そしてライバルの存在。当時朝ドラにはライバルがいました。TBS系の「ポーラテレビ小説」です。
本放送が昼の12:40〜13:00、再放送が朝の8:10〜8:30と朝昼逆ですが裏番組。1968年に始まり、1969年の第二作『パンとあこがれ』は文学座の新人だった宇津宮雅代主演、新宿中村屋を創業した相馬黒光がモデルの一代記など内容も朝ドラをターゲットにした内容です。
そしてこちらは最初から放送期間半年。こちらを見れば、朝ドラ半年化のシミュレーションができます。ライバルの影響もあったんじゃないでしょうか。